すばらしい韓国の食事53何でも干物にしてしまう
インチョン空港のある永宗島の東端、インチョン市内のウォルミ島と目と鼻の先の船着場です。干物屋です。裏手、というかここが裏なのですが、向こう側には小さな市場があり、活魚、貝、ナマコ、ホヤなどが売られていますが、人通りの多いのは船から降りた人や車が通るこちら側。いろんな干物を売っています。イシモチ、アナゴ、でっかえエイ(カオリ)、日本では見たことも無いような大きな舌平目、なんでもかんでも干してしまうのは、食いしん坊というか、、、見事と言うか、、、
今年の初め、木浦への3度目の訪問でしたが、そのときは駅前の市場でコウイカのするめを見つけ、買いました。スルメイカ、ケンサキイカ、アオリイカなんかのするめはありますが、身が厚いコウイカのするめは日本では多分ほとんど無いでしょう。寒いのがいいのかな? ともかく、写真を撮らずに、また焼かずにちぎって食べてしまいましたが非常に美味しかったです。ソウルでは見たことがないでのすが、コウイカのスルメ、見かけたら「買い」ですよ。
韓国の海、西と南、東、とありますが、一番豊かだな、と思うのは西の海。魚、貝、その他、漁港へ行くと、海産物の豊富さ、型の見事さに圧倒されます。東の海は主にすけそうだら、スルメイカ、ズワイガニ、そんなで、地味な感じですね。釣り場としては、行く人もいますが、美味しいものを食べるなら、断然韓半島の西側のほうがいいでしょう。
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コメント
たかとうさん こんにちは。
やっとここまで来ました。2010にたどり着けるでしょうか?
新村のターミナルから 江華島へ行った目的は 温水里(オンスリ)の昔の プルガマに入るため。木を燃やしてサウナにするプルガマに 初めて入った時、3分も我慢ができず飛び出してしまいました。
地元の人しか来ないというプルガマのアジョシは シッケをくれたり 色々世話をしてくれました。
その帰りに 近くの チョンドンサに寄ったぐらいで
江華島は よく知りません。
こめつきは 子どもの時から 胃腸が弱く 辛い物がにがてです。韓国でも 食べるものが限られるので ブログを拝見して なんと!と 驚きました。すごい健啖家でいらっしゃる!こめつきは 足元にも及びません。
好きなのは スンドゥプチゲです。辛い物で 食べられるものはすくないです。
初訪韓は70年2月でしたから 60年代の貧しさを引きずっていた頃ですね。日本でもベストセラーになった「ユンボギの日記」に出てくる 子どもの生活そのものでしたから。
雨が降り出すと 竹で作った ビニール傘を 脇に抱えて 走り出すのも子ども達でした。持ち手は太い竹、骨も 6本ぐらいのたけひご。ビニールは 青いいゴミ袋
(薄くて ぺらぺらの)に使っていたのを 貼り付けた物。骨もビニールも 1回切りしか使えないような代物でした。でも 当時の日本円で 50円ぐらいした気がします。
昨年、群山に行くとき ヨンサンから 長項線に乗りましたが 新線になっていて どの駅も何もかも新しく
旧群山駅は 貨物ターミナルになっていて お達者クラブの皆さんの たまり場になっていました。新群山駅は
市街から遠く 夜遅く着いたこめつきに タクシーのアジョシは 「今からだと チムジルバンに行けば?」
と 大きな「クムガンサン」という サウナに連れて行ってくれて そこで泊まりました。
そうそう、初訪韓の時 持っていたカメラを ソウルの市内で突然 見知らぬ男に 「売ってくれ」といわれました。まだ フイルムが残っているから「夕方鐘路の「YMCA」にきてくれたら 売る。」といって 別れ、今もある 筆洞の「コリア・ハウス」にいって、売店のアジュマに 何気なく その話をしました。すると、「ハクセン!やめなさい。貧しい韓国で そんな中古のカメラを買うお金のある人はいない。うまくだまされて 盗られるから 壊れたと言って 断りなさい。」と 日本語で言いました。
その通りに言って 断りましたが、密輸団に 「USドルでしか 決済ができないから こめつきが持っているUSドルを よこせ。と 旅館に缶詰にされたり 恐い思いもしました。
日本から たくさんの生活用品が船で密輸され、USドルしか決済に使えなかったそうです。
投稿: こめつき | 2010年11月 4日 (木) 15時02分
コメントありがとうございます
何度も申し上げますが、このブログの一番良かったのは最初の1年間だと自分で思っています。韓国の良さを紹介しようと一生懸命でした。その後は何を書いても同じ話をしているような気持ちになってしまうため、かなり文章を省いてのアップロードになってしまっています。 ゆっくり見ていただければ、嬉しいです、先輩。
80年代の本でも、関釜フェリーの運び屋に頼まれる話、日本製品を持って行って売る話などが出ていますが、私が行くようになった90年代は韓国経済の発展もあって、あまり怪しい経験はありません。せいぜい、しつこいポンビキやら、地方のホテルでの女性を世話するのの勧誘とかですね。
日帝時代のことに関しての困った出来事は3回だけ。うち1件は、実際日本支配の時代を知っていそうなハラボジでしたが、後の2件は私と同世代くらいの男性が相手でした。たぶん、生身の日本人と直接話すのは初めてなんじゃないかと思う田舎での話です。学校教育とマスコミのおかげで、日本は良くない、という意識が身についてしまったのではないかと今思っています。当時は残念ながらまだ言葉があんまりだったので、ちゃんと話せなかったのです。そういう時にちゃんと話せるように、というのも韓国語の勉強を続けている理由の一つかもしれません。
新しい群山駅、長項駅はもう2年前の訪問になりますが、私も驚きました。韓国の鉄道の全部がああいうふうになってほしくないなというのが正直な感想です。
怖い思いは、、、実は日本の新聞に小さな記事が出るくらいの事件になりかけたことが昨年の初め、一度だけありましたが、言葉ができたため、また、向こうの友人の助けで大事に至らずに済みました。今ではよい経験をしたと思っています。
またコメント、お話、聞かせてください。
投稿: おとう | 2010年11月 5日 (金) 09時07分