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2006年8月 5日 (土)

普通の韓国を探して617 美人村の広告ビラ

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 「ヨボヨボ美人村」の開業広告です。こういうビラの写真、大抵は日本の雑誌から無断借用したものであることが多いです。美人村という名前の他、ミッシー村だの、寡婦村だの、いろんな名前がありますが、個室で飲んで騒ぐ、そんな飲み屋のようです。

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2006年8月 4日 (金)

2006年7月韓国出張9

 さて、ヌヌ(ヌーヌー)モテルの部屋で一休みの後、外出だ。約束時間は7時にイテウォンのヘミルトゥンホテル前のボゴキン(バーガーキング)の前。歩いて鐘路3街駅。3号線で薬水駅乗り換え、6号線でイテウォンだ。 前にも書いたとおり、昔は行ったこともなかったし、ここ数年もどっちかといえば嫌っていた街だ。地下鉄駅から階段を上がりハミルトンホテル前。T字路の向かい側にボゴキンがある。

 この日、会う約束をしていた観光ガイドさん、昔団体で行ったときに知り合った人で、その後も空港の到着出口でたまたま会って挨拶したり、食事を一緒に(お昼のチャジャン麺です)したりしたこともある友人でもあり、韓国語の先生でもある人だ。女性なので年齢は聞いていないが、30台後半の女性で、その後会社を替わり、今は韓飛旅行社という旅行者に勤めている。とてもまじめな人で、最近はスレてきた客も多い日本人観光客にいじめられないか心配になるような人だ。この日は同僚のガイドさんも一緒に軽い夕食を、との約束だったのだが、7時になっても現れない。いままで、コリアンタイムなんて言葉を感じさせることは一度も無かった人なのだが、、、ま、仕事が長引いているのだろうと思って待つと、、、息をきらしながら三角地方面からの横断歩道をわたってやってきた。嬉しい再開だ。

 一緒に連れてきてくれた男性ガイド1人、女性の先輩ガイド1人と挨拶。と、そこで、男性ガイドさんにHPで急用発生。結局女性2人といっしょの夕食になった。場所は、イテウォンの通りの南側すぐを並行して走る裏通りのスンデ屋だ。イテウォンでスンデクッを食べるならここ、と言われる有名な店だとのことだが、とても小さい店。でも、よくあるようにテレビの取材を受けたときの写真だの、芸能人の色紙だの、たくさん貼ってある。女性2人はスンデクッ、私はスンデとビールを注文して、話しながらの食事、楽しかった。

 2人とも日本語担当だとのこと、いろんな日本の地方、県毎の客のタイプ、扱いにくさなんかのことを話したり、日本の団体旅行の料金の安さなんか、お土産屋のことなどを話したが、なかなか面白かった。最も嫌なお客さんが多い県についても聞きましたが、答えはここでは内緒にしておきます。 結局、30分近くも遅れたので、ということでこの夕食は彼女たちのおごりでした。再会を約束して、駅で別れました。

 時間はまだ9時、傘はささないでもいい天気だし、宿で寝るには早い時間だったので、地下鉄で鐘路5街、広蔵市場の「故郷チプ」か「ハルモニチプスンデ」へ行きました。広蔵市場の屋台群、半分ほどは店を閉めていましたが、例の斜めの十字路のあたりはまだまだ飲む客で賑わう店がたくさん。でも、人気店、「ハルモニチプ」はもう店仕舞い後、「故郷チプ」も、お客さんはおらず、手伝いの娘さん(とはいえ50台)もおらず、おばぁちゃんだけ。挨拶をしてマッコリとモリコギを頼むが、もうマッコリは無いとのことで、焼酎。美味しい肉に美味しい酒、そしてもう80近いと思われるおばあさんとの話。幸福な一瞬です。私が座った直後、隣におじさんが1人来て、その人とも話します。ここでもまた「何年住んでいる?」という質問。でも、外人だと容易にわかるってことだよなぁ、、、と酔った頭で考えながら韓国語への精進を誓いました。時間は10時過ぎ、おばあさんに、ここ、何時まで?と聞くと9時という話。後でわかったのだが、もう店仕舞いをしていたところに座ってしまっていたのだった。でも、そんな、知り合いならどうにでもなる、そんなところも韓国なんだよな、と嬉しく思いました。酒が3000W、肉が5000W、合計8000Wでした。

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普通の韓国を探して616 ナイトクラブの広告

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 韓国、日本とは比べもにならないくらいの「ビラ」が使われます。けっこう昔から集めている中の1枚です。

 ナイト(ナイトゥ)というのは1人で行く場所ではないので行ったことがほとんどありませんが、けっこう有名な芸能人が実際に出るそうです。左の女性みたいな人はハリスという性転換をした元男性。軍隊の後に、そういう手術はするそうです。 

 昔、新沙洞のハイウェイジャン(荘)旅館という宿に泊まった翌日の朝食を、やはり有名な荘旅館であるピンク荘というモテルの前の食堂でとりました。なんでその店に入ったかというと朝の早い時間なのに、若い女性のグループが食事していたからです。やはり誰もいない店よりはそばに他のお客さんがいたほうが楽しいし、聞き取り練習にもなります。若い女性であればなお結構というところです。 でも、入店して隣のテーブルに座ったときにやっと気づきました。全員、女装した男性だったのです。

 後で韓国人の友人にこの話をしたら、新沙あたりの変った飲み屋には、そんな店があるとのこと。そういう店のホステス(ホスト?)さんの、仕事の後のご飯だったのです。ちょっとがっくりした朝でした。

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2006年8月 1日 (火)

普通の韓国を探して615 嶺東線墨湖駅

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 上りの汽車を待つ墨湖駅のホームです。ソウルのようなアパート群はなく、あってもぽつぽつ。港町らしい雑多な雰囲気は感じられない、静かな東海沿岸の都市でした。灰色の服の女性は尼さんですね。 旅客列車は1時間に1本も無い路線ですが、セメントなどを運ぶ貨物列車はかなり頻繁に走っていて、駅ごとに列車の交換があると言ってもいいくらいです。 次回、機会があれば、泊まってゆっくり街を歩いてみたい場所です。

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2006年7月韓国出張8

 群山から益山までは通勤型ディーゼルカーの3両編成。すぐ後ろの席には女子大生風2人。かなりお洒落っぽい。ところが、持っている本が「口腔外科学」。まずこの辺で歯科大学というと益山の円光大歯科大か全州の全北大歯科大。思い切って話し掛けると前者のほうの学生でした。日本から韓国の食を研究しに来ている歯医者だと自己紹介、ちょっと嬉しい一件でした。

 ディーゼルカーは田んぼの中を走ります。けっこう途中駅からも乗客が乗ってきて益山に着くころはほぼ満席。買い物に行くおばさんが多い感じです。何度か降りて歩いている益山ですが、なんか、特徴のない街。円仏教の街、宝石加工の街だといいますが、なんか面白くありません。簡単に全域を歩けるというほど小さくはないし、ということで、円光大の先生にも特にアポイントはありませんのでソウルへ直行することにしました。なくした財布のこともありました。

 益山からソウル、龍山。KTXもありましたが座席は狭いし、特室だとかなり高くなるし、ということで少し待ってセマウル号です。このときはディーゼル動車のセマウル号。ぎりぎりで切符を買ったからか1号車でした。先頭の機関を積んだ部分の車両ですので座席は普通の車両の半分程度。うるさいかな?とも思いましたがあまり騒音は気になりませんでした。韓国の鉄道車両、あまり洗わないのか、ディーゼルのすすで汚れていますが、そのへんもまた韓国らしい部分です。うとうとしていると何時の間にか永登浦。漢江の水量は変らず川幅いっぱいでしたが、河岸の道路はだいぶ通行可能になってきたようです。タンク車で道路の泥を洗い流す作業も見ることができました。

 この日は夜、観光ガイドをやっている人と合う約束をしていました。まずは宿を決めて荷物を置く予定。でも、何の予約もしていません。まぁ、ソウルならどこにでも宿はあるのですが、交通の便のいい場所に、と思い鐘路3街へ。韓国観光HPで知った新しい目できれいげなモテルということで「ヌヌモテル」というタプコル公園脇の大きいモテルに行くことにしました。鐘路からもよく見える灰色の新しい建築です。どこから入るのかわからなかったのですが、看板を頼りに鐘路の宝石店街の裏手のピマッコルから入りました。ビニールのビラビラを掻き分けて細い通路を進みます。すぐだと思いましたが曲がっていてけっこう歩きます。周囲には南洋風の飾りつけ。韓国ではラブホもビジネスホテルも一緒、とは思っていましたが、なかなかディープでありました。3,40mも歩いてやっとモテル入り口。フロントには男女1人ずつ、2人も人がいます。1泊いくら?と聞くと6万だって!! 場所が良く、新しい宿とはいえ、ちょっと高いなぁ、とは思いましたが、荷物を抱えて歩くのもいやなのでここに決め、カギをもらいました。部屋は狭目でしたが、大画面のプラズマテレビもあり、エアコンも効くし、ちょっとベッドで休憩です。

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2006年7月31日 (月)

普通の韓国を探して614 ミチコロンドンの校服(キョボk=制服)

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 浦項駅のそばの繁華街、明るい通りの店です。「ミチコロンドン」とありますが、高校生用の制服の店です。いろいろ勝手にパクる韓国ですが、ここまでおおっぴらにやっているのはちゃんとしたライセンス製品なのでしょう。男子用、女子用があるみたいですが、さて、学校ごとに服が違うのに、、、勝手にこういうのを着ていいのかどうか、ちょっとわかりません。

 韓国人、あまりスカートをはきません。夏の暑い時期、今ごろはけっこう見られますが、制服の中学生、高校生の時期を過ぎると韓国女子はパンツ一辺倒という感じ。アジュマ、ハルモニになると、また徐々に着やすいスカートというかだぼだぼのワンピースになる傾向があります。

 日本の女子高校生の修学旅行で、あまりのスカートの短さに驚いた韓国側からもう少し長くはくようにと依頼があったというのは有名な話ですが、韓国の女子高校生はどっちかといえば長くだらんとはくのがカッコいいってことになっているようです。

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2006年7月韓国出張7

 8時30分発の群山行き市外バスに乗りました。何度か書いているように、この長項線の最後のあたり、韓国でもとてもきれいな田舎の風景を見ることができます。40年前の日本のような農村風景、牛が田んぼを耕しているのもこの辺で初めて見ました。熊川邑、珠山面、この辺では椿長台という方面へ行く旅客扱いをしていない鉄道も見えます。隣の席のおばさんに聞いてみたらやはり西海干拓のための鉄道だとかいう話でした。村ごとに停車し、近距離のお客さんもけっこう乗り降りしますし、通学の高校生もいたりで、ほぼ満席で走ります。一度歩いたことがあるソチョンの町を過ぎればもうすぐ長項。でも、駅のほうへは行かず、直接錦江河口堰へ。大雨で水量を増した錦江を越えれば群山です。

 最初は鉄道でゆっくり長項、今まで何度も渡った渡船を、初めて長項側からとも思いましたが、この大雨、渡船が動いているかが心配だったのでバスを選んだのです。河口堰を越えたらすぐに右折、川に沿って群山に向かいます。群山の入り口では大きな工場の廃墟がありました。廃墟ブーム、韓国にも訪れるとしたら、まさに宝庫です。取り壊すのにお金がかかるからほうっておくのか、街中に廃工場がそのまま残っているなんてのも韓国らしい風景かもしれません。そのすぐそばにはEマート。いまや韓国のあちこちに大型マートができているのでしょう。引込み線を渡り、全州からの道を少しだけ走り、群山観光ホテルの脇の群山市外バスターミナルまで、1時間ちょっとの移動でした。小降りにはなっていますが雨。傘を差して、歩き出します。

 「倭色が濃い」と称される群山。10回目くらいの訪問です。このあと、益山の円光大歯科大の知っている先生を訪ねるつもりだったので、お昼前くらいまで、懐かしい町を歩いてみました。

 バスターミナルから横断歩道を渡ると昔からある文化荘旅館。その脇の金堤食堂も健在です。そこから港へ行くほう。確か、、昔は白花という清酒(正宗)の工場だった駅裏には大きな結婚式場ができていました。製紙工場への引込み線を渡り、次の交差点を左斜めに入っていくと駅の裏のほう、駅前市場の裏口に出る道です。製材工場、建具店、ドア専門店などが並ぶ古い町並みを過ぎると、また今度は港への引込み線を渡って、群山駅前市場の裏です。駅前右手から引込み線に沿って長く続く市場ですが、特にこの北の端のほうは空きテナントが目立ちました。やはり大型マートの進出の影響かなとちょっとさびしく感じました。市場の中をブラブラ歩きます。右側、普通の町に出る通路がいくつかあって、もう駅側の入り口の明かりが見えてくるころに、映画「逆転の名手(駅前の明秀?)」にも出てくるアガシコルモクの入り口の細い路地、それも健在でした。昼間はシャッターがありていますので閉店した店みたいですが、夜になるとピンクの蛍光灯がともる細道。映画の中で正義の用心棒である明秀がアガシとお客とのトラブル解決(実際は乱暴をはたらくお客をぶちのめすのですが)のために走って行く小路です。

 そして、駅前、急に明るくなります。 韓国のあちこちにコルモクシジャンという、日本の商店街的な小さな通りに沿った市場がありますが、普通の在来市場としてはこの群山駅前市場、すごく長く、大きいものだと思います。ただ、前記の通り、駅から遠い側は門を閉めた店も多く、暗くてさびしい感じです。

 「食事はきちんと摂る」、なんて少し前に書きましたが、この日は朝飯を食べていません。どこで食うかな?なんても思いながら、まずは駅で、益山までの切符と、もっと大事な、益山からソウルまでの切符を買いました。その後は、、、飯ですが、あんまり食欲がありません。缶の飲み物、甘いマンゴードリンクを飲んでもう少し歩きました。

 駅前広場から左手、群山線を越える陸橋の手前、何か、人だかりが見えます。沃溝邑のほうへ行くバスはあの陸橋のとこで乗ったんだったよな、なんて思いながら見に行くと、群山市敬老会だか漢字の看板がある建築の前にお年寄りが4,50人集まっています。脇にある勝手口の前では韓国式の長いゴム手袋をしたアジュマが数人、韓国式のあの、赤茶色のたらいで洗い物。これ、タプコル公園なんかでもある「老人無料給食」の場所なのでした。早く開けろと大声で喧嘩腰のおばあさんもいます。案外おじいちゃんのがおとなしく開くのを待っている感じです。皆日帝時代を知っていそうな年齢ですので私と同じくらいかと思われる会館の洗い物アジュマにたずねてみるとやはり無料給食。しかしこんなにたくさん集まるとは驚きです。今日のメニューはご飯とナムルとテンジャンだとか。キムチは言うまでもないというところでしょう。外国人旅行者でも食べられますか?と聞いたら、ちゃんと並べばオーケーとのこと。 でも、私が食べることで、1人の群山のお年寄りが食べられなくなるわけですから遠慮してまた駅前へ戻りました。

 駅前広場と市場の入り口にはコーヒーの屋台があります。そこで500Wのコーヒーを飲んで時間つぶし。自販機よりも高いけど、アジュマとおしゃべりしながら休めます。汽車の時間まで群山の話をしながら、またも、韓国語の上手さに呆れられながら時間をつぶしました。

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2006年7月30日 (日)

2006年7月韓国出張6

 7月18日になりました。忠清南道の保寧市、大川海水浴場で有名な都市ですが、雨の朝になりました。

 まず、ベッドの上でテレビを点け、ニュースを見ます。相変わらず大雨のニュースばかり。週末に多くの被害が出た江原道方面の復旧はなかなか進まないそうです。大雨の地域は韓半島南部に移りつつあるとのことですが、インジェ郡、ヤンヤン郡方面の被害は甚大、多くの死者、行方不明者が出ているとのことでした。幸い、この西海岸、忠南地域はそれほどの大雨ではありません。昨夜、ベッドでメモを付けながら考えた行き先ですが、今回は久々に群山へ行ってみることにしました。シャワーをあびて、荷物をまとめて、出発です。

 モテルの窓からはそう大した雨じゃないと思っていましたが、外へ出てみると結構な降りです。汽車はまだ来ない時間だし、バスで群山へと思うのですが、まずはバスターミナルへ行かないといけません。韓国のバス、近郊の町からの郡内バスでも、中長距離の市外バスでも、その町のバスターミナルには必ず行きます。駅の前の通りのバス停留所付近は登校する高校生で賑わっていましたが、どうも、あんまりバスが来ないし、「トミノル」という大抵は赤い(重要な場所なので)札が見つかりません。天候も悪いので、ええい!と思いタクシーです。 この保寧、昔大川海水浴場、大川港とバスで移動して安眠島へフェリーで渡ったことがありますが、どうもターミナルが新しくなったみたい。町を抜けて、川のそばの広い場所へ走り、まだ1年も経っていない様な新しいターミナルへ行きました。メーターは2000Wをちょっと出たくらい。2500Wあげて、お釣りはいらないよ、と言って車を降りました。

 初めての新保寧市外バスターミナル、あんまり人がいません。やはり結構な田舎であるせいでしょうか、テナントも入っておらず、がらがら。「店舗分譲」のおじさんがパンフレットを山積みした机の前に暇そうに座っています。その脇には「マッド祝祭」のパンフレット。そういえば昨日夜も保寧駅前などで白人の若い男女を見かけました。どうしてこんな忠南の田舎に??と思ったのですが、有名な海の泥、美容にいいという干潟の細かい泥のお祭りです。日本でも有明海、佐賀県あたりで泥んこになって干潟で遊ぶお祭りがあったと思いますがそんな感じの行事なのでしょう。ちょうどこの17日からの週がその「保寧(大川)マッド祝祭」なのでした。

 さて、群山行きのバスは30分おき、けっこう次のバスまで時間があったのでターミナル内をブラブラ。トイレも真新しく、1年以内にできた?なんて書きましたがまだ1ヶ月もたっていないような建築です。ただ、これは設計ミスなのか、、、雨の日には外から来る人の靴についた水気でどうしても床が濡れますが、すごく滑ります。私が待っていた間にも子供連れのお母さんがすってんころりん。一緒に手を繋いでいた子供も転び、泣き出すは、、、ちょっと可哀想、でも、いかにも韓国という感じでほほえましい出来事を見ました。大の大人でも女性は大変なことがあったとき、「オンマー!」と叫ぶのですね。悪いけど、面白かったです。

 

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