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2011年5月28日 (土)

普通の韓国を探して3282 風水に基いて造られた街 ソウル 

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 北に山、南にも山と大きな川、西にも東にも少し低い山、そんな風水上の「王さまが住むのに良い場所」を探して建設されたのがソウルの旧市街です。北に北岳山と北漢山、西に仁旺山(仁王山)、南に南山と漢江。そんな山に囲まれた場所、戦略的にも守りやすい場所でもあったのでしょう。

 また、新しい街である江南も昔は低い山がたくさんある中の森林や畑だったとか。すぐ先には冠岳山も聳えています。東京も台地とそこを削って流れる川があり、起伏はありますが、山と言えるような山は23区にはありません。ソウルの魅力、どこからでも山が見えるというのもその一因かもしれません。何だか心が落ち着く感じがします。

 で、忙しい土曜日、ここはどこでしょう?です。

 場所はソウル、山の中腹に上がってきました。右手は急な崖ですが左はずっと家があります。黒っぽい建物が最大のヒント。かなりの大きさのビルですので、この黒っぽい感じで気づけば、簡単です。キーワードは「ソウル市内 山 黒い大きなビル」です。

 お昼と夕方にヒントを追加します。3枚目が出れば、ソウルを自分の脚で歩く方ならすぐわかると思います。お楽しみに。

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  黒い建築、これでわかる人はお分かりでしょう。窓がたくさん→ホテル建築。ソウルのホテルで山にあって大きめというと数が限られます。外壁の感じでピカピカつるつるなのがアルファベット5文字の高級ホテルですが、あれとは違う感じです。

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  3枚目、駐車場ビルのむこうに見える建物は少し前にここでもちょっと出てきたソウルの古い公共施設です。この場所の地名も最初は自分で○井洞の一番奥だとばかり思っていましたが、この公共施設の名前の一部である地名、第2洞でした。汗をかきながら坂道を歩いた後に急に開けた東側の風景3枚でした。もうたくさんの方、おわかりですよね。

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コメント

こんにちは

なかなか回答が出てこないので、出題者も退屈でいらっしゃることでしょう。そこで先生に逆に問題です。


第1問(難易度90) 写真のホテルの開業は1955年のことですが、今までに少なくとも3回は改名しています。では一番最初にオープンしたときのホテル名はなんと言うでしょう?
(ヒント・〇〇荘ホテル)

第2問(難易度70) このホテルが建っている辺りの土地は、20世紀初頭から朝鮮戦争の時期まで遊郭が残っていたという史実は誰もが知っている常識ですが、このホテルの北東側には、解放時まで或る有名な日本の仏閣の別院が位置していました。その仏閣の名前はいったいなんだったでしょう?

第3問(難易度30) 三枚目の写真に見える公共の建物は、築50年近い韓国体育の殿堂でありますが、90年代この場所で破竹の5回優勝を成し遂げた伝説の名力士(天下壮士)がいました。その伝説の名力士とはいったい誰のことでしょう?
(ヒント・韓国人なら小学校低学年でも知っているチョー有名な人物)


日本人向けに少しやさしくしましたが、先生にはいかがでしょう?(まあ、おそらく即答レベルでしょうね)

投稿: ダニエル黄 | 2011年5月29日 (日) 21時03分

おとうさん、ダニエル黄さん、こんにちは。

黒っぽい建物は新羅ホテル(Shilla)でしょうか。
丸い屋根の公共施設は、奨忠体育館と思われます。

ダニエル黄さんの3問目はシルムの選手ですね。
崔洪萬(チェ・ホンマン)氏もシルム出身らしいですが
活躍した年代がちょっと違いますか。

投稿: コスモス | 2011年5月30日 (月) 08時22分

コメントありがとうございます

 ダニエル黄さんには降参です。歴史のこと、昔のこと、知りたい、見たかった、、そう思うばかりで、まだまだ手薄です。

 第2問については、今家にあるのですが、光復の日のソウルにいた日本人中学生で、その後有名な作家になった数人を題材にした話、川村湊さんという方の文章で「日本の寺院の別院があったというのは知っていました。本願寺とか、そんな、、、よく覚えていません。

 後は完全降参。南ソウルホテルは見ていますが、ここはずっと前からエムベソドだと思っていました。テウォンガクの火災は、、子供の頃新聞で見ましたけど。

 コスモスさん、ソフィテルアンバサダーです。南山のホテルと言うとハイアットは南側で黒いけどピカピカ、新羅は明るい茶色です。シルム選手と言えば、私はカンホドンしか知りません。

投稿: おとう | 2011年5月30日 (月) 09時56分

おとうちゃん
ご無沙汰しています。
おとうちゃんの問題も、ダニエルさんの問題も難しかったです。

第3問の答えはイ・マンギさんでしょうか?

投稿: ちょび | 2011年5月30日 (月) 17時15分

たかとうさん こんにちは。
今の「グランド・アンバサダー・ホテル」ですね。
 オープンの時は「金水荘ホテル」→「ソフィテル・アンバサダー・ホテル」だったような・・
ソウルは 1ヶ月行かないと 店がなくなっていたり 突然新しいビルが建っていたり・・・最近は 少し寂しい思いもしています。年寄りの 繰り言かな?

投稿: こめつき | 2011年5月30日 (月) 20時16分

コメントありがとうございます

 流石70年代のソウルを知る方ですね。こめつきさん、感謝します。


 ダニエル黄さんの2番目の問題の答え、家でその雑誌を見たら「高野山別院の大伽藍」でした。ここの前の記事でもありますが高野山には韓国の方のお墓もたくさんあります。これも、そんな因縁(いい意味)のためなのかなとも思います。

 別冊宝島77 「新しいソウルを歩く本」、88年の本ですが、ディープな韓国ファンには面白いです。古本ででもあれば、買いです。ライターは主に私と同じ50年代生まれ、80年代のソウルの話、面白いです。
 また、その川村湊さんの「「京城の憂鬱」という文、なかなかです。本町5丁目(忠武路5街)から東四軒町(奨忠洞1街)へ抜けて行く通称「極楽坂」と呼ばれる地域と書かれているのが日本人向けの新町遊郭と下の方に朝鮮人向けのカルボコリ~  今の忠武初等学校がある坂道だと思いますが、どうなっているのか?だの、興味は尽きません。

投稿: おとう | 2011年5月31日 (火) 07時42分

こんにちは。
さすがに先生のブログ、読者の方々もレベルがお高い。正解がもう全部出てしまいました。脱帽です。

第一問 クムスジャン(錦繍荘)
第二問 高野山朝鮮別院大伽藍
第三問 カンホドン(姜鎬童)

新町、大和町、並木町の旧遊郭地帯はいまでは当時を思わせる佇まいは皆無ですが(韓国戦争で大部分の建物が焼け、その後、訓練院路の新造、退渓路延伸拡幅により一掃)オートバイ商街の裏通りあたりに、昔のままの細い路地がそのまま残っていたりもします。

このあたり、50年代中盤以降には近隣の新堂(舞鶴)洞、光熙門、東大門周辺、清渓川河畔にとてつもない規模で貧民窟(売春地帯含む)が広がっていたと聞きますね。いまでは想像もできないですが。

投稿: ダニエル黄 | 2011年5月31日 (火) 09時43分

コメント、それに楽しい話題をありがとうございました

 「どうなっているのでしょう?」なんてもったいぶって書きましたが、前からの予告通り、筆洞、墨井洞、奨忠洞のこちら側、ちょっと歩いてみました。近日中に紹介します。

 奨忠洞のすごい坂道の峠の頂上付近にある美容室でカットしてもらった先生がハルモニで、ソウルの市電も、清渓川沿いのパンジャチプもご存知の世代。なかなか面白かったです。またお出でになってください。よろしくお願いします。

投稿: おとう | 2011年5月31日 (火) 10時05分

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