普通の韓国を探して4020 10月17日 群山の日本人町2
故郷である東京よりも頻繁に訪れていた時期のある全北群山の旧市街です。日帝時代に大きく発展した町であることは知っていましたが、市内中心部、道路等も計画的に設計された都市であること、この時に知った感じです。 同じように日帝時代につくられた都市としては大田が有名ですが、こちらのがこぢんまりしている分、そういうのがよくわかります。道路が広めで、格子状に走る古い町。何だか不思議な感じがします。
もともと朝鮮の家屋はいくら大きくても平屋が基本ですから、古い木造家屋、コンクリート造りの建物の多くは日帝時代の建築だったりします。ソウルの古い町でもそうですね。
立派な2階建ての家。重たそうな屋根、やはり日本家屋でしょう。
この辺、日本人町の中心だったのでしょう。昔の市庁があった場所。最初に行った97年には建築もありましたが、その後すぐになくなって駐車場。さて、今はどうなっているのだろう?と思いましたが、今回のツアーでは通りませんでした。とにかく、群山の港から南の平らな場所はほぼ日本が作った都市計画都市だったようです。 光復後、韓国戦争の被害もあまり無かったのかもしれません。昔の繁華街だったため、ハングルが読める人はお気づきでしょうが、歓楽街になって、それがまた寂れてしまった。そんな感じの旧日本人町です。
朝は雨だったけど、日ごろの行いのおかげか、お昼には晴れてくれました。
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