ウォーキング日記896 渋谷・1974年の思い出
とあるサイトで「二子玉川 柳小路」という施設があるのを知りました。玉川通り沿い、三軒茶屋から玉川までの焼肉を見てたんでした。「柳小路」?って思ったのはとても親しみ深い名前。他にあまり無いと思うのですが、検索で確認、渋谷の井の頭線のそばにあったパチンコ屋の名前です。一緒に見つかった「ウチダ」という店も覚えがあります。覚えって、、、18か19で出入りしてた思い出です。
駅も含めすっかり変わった渋谷ですが、高校時代の3年間、予備校での1年間、遊んだ町でした。当時はアレンジボールというのも流行っており、釘の見かたなど研究して、割合お金を使わずに遊んでいたような気もします。あ、パチンコは井の頭線渋谷駅の北、アレンジボールはセンター街でした。
あとは、井の頭線のパチンコ屋が集まるあたりの少し西に立ち食いだけどかなり美味しいラーメン屋があったこと。小遣いの中での買い食いですのでいつも一番安いラーメンでしたが、バイトの人でもうまく茹で上げられるよう、観覧車のような装置で麺を入れた籠が回転するのがありました。思い出美化効果もありましょうが、美味しかったなぁ。
さらに、書いたかもしれませんが、定期試験の最終日は何故か酒を飲んでいたこと。お昼も外苑前周辺の飲食店でビール。夜は、大抵は井の頭線下の今度は南側、東急文化会館側の、でも線路の下「大黄何」、(だいこうが)、という中華居酒屋でビールだのホッピーだの。
お腹を満たした後は、やはりセンター街のY字路の手前あたりの地下にあった「エクストラ」という店でウィスキー。幹事格で、酔っ払った仲間を介抱して自宅に泊めたりしてくれてた坂本君は某有名セラミックメーカーの大幹部になりました。
スマホでここの記事を打つと「が」がしばしば、隣にある「何」に誤変換。何故か渋谷の中華居酒屋が「大黄河」でなく、「大黄何」。誤変換を直す度にあの渋谷にあった飲み屋を思い出します。
あとは、、、ここの記事でもありますが、岡山市の一部で生き延びてたという噂があった「いんでいら」のカレーとえびめし。茶色いチャーハンに海老がゴロゴロ。これは宮下公園の方、山手線の内側にありました。わざわざ岡山へ行ったけど喫茶店みたいな店のソースチャーハンは違ったな。
もう一つ、やはり内側で、銀座線が地下に入るあたりの右側、「きんしゃい」という九州風のラーメンの店。当時は豚骨の白いスープが珍しく、高菜が食べ放題で、関東もんにとっては細い麺、醤油が感じられないスープは珍しい味でした。
小遣い、アルバのお金、そんなのの大部分をこの中間テスト、期末テスト後の飲み会に使っていた記憶があります。
4年間毎日通った渋谷の思い出、思い出したら書きますね。生きてるうちに。
あ、まだ飲んでませんよ、今日は。
土日挟んで久しぶりのトンイ。また捕まってしまう場面から。剣契の鉢巻を無くして幸いに?
出た、トンイと鄭ジニョンの再会。 6年ぶりとあるが、12才の18才とか?
そうでした、ニコでなくヘグm.韓国はヘグm
7回目くらいだけど、全部飛び飛び。ヒビンのお母さんが皇后ニ毒を持ったのだっけ?
後になって知った、ヒビンに恩を売る有名な場面?
한마디 中級者に言葉。
拷問を止めるのは? ヒビンだった。 トンイに謝って礼を言うヒビン。いい回でした。
2話連続、ヒビンもいいことを言う。自分のために働いてくれた者を大事にしないと、信頼できる味方はできないと。
パクチョンスアジュマは誰の味方?手先?王妃様?
皆が味方したくなり、応援したくなるトンイは偉いな。
デーチェクゲムスン、大体わかるのは大したもの。
しかし自分の身の危険も省みず正しい道、正しい事を突き通すトンイは偉い。男も女も惚れる人物。
どこまでも悪いのはサンヒョクのアッパ。
まだ王様を王様だと思ってないトンイ?
外してくれ、と言う字幕、何だろう?まだまだわからない聞き取り多数。
말씀하신데로、よく出て来るセリフ。王様も庇うことができないヒビン側近の悪事、やはり助けるのはトンイ、というお話だろう。
死体置き場に忍び込んだ会は見たことある。車チョンストンイ会えるのだっけ?
もしかしたら10周りとかも見てるかもしれないがトンイは名作。
口封じに殺されそうになるトンイ、今度は王様にたふけられる。
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