2017年8月 5日 (土)

普通の韓国を探して6357 江南も変わる

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 江南の開発っていつ頃始まったのでしょう?70年代半ばとかでしょうか?88オリンピックにかけての奇跡的な経済の成長とともに大発展した地域なのでしょう。

 95年の初ソウル、金浦空港からKALリムジンに乗ってガイドブックのとおりに江南のリッツカールトン前、南ソウルホテル前?あの辺で降りた時の安心感。日本と一緒じゃんって思いました。

 でも、そんな江南も30年、40年の時を経て、再建築だのなんだの、この10年くらいで大きく変わり始めています。高速ターミナルの手前にあった古いアパート群もすっかり建て替えられたし、、、浦二洞というか、開浦洞の方にたくさんあった古いアパートは今もあるのかなぁ?

 で、本題ですが、李準圭先生のオフィスがあった瑞草洞のムジゲアパートも再建築だそうです。後継ぎの娘さんもいるためか、診療所を移転したという知らせがありました。 ここの古い記事でもたくさん出てきますし、何十回行ったか分からないムジゲ綜合商街ももう取り壊されたのでしょうか?キムヨンモ菓子店が隣りだったなぁ、李準圭歯科。

 写真はテヘラン路、ここも再建築ということで営業を中止してたルネッサンスホテル前ですが、やはり、今の風景、見てみたいものです。

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2015年7月25日 (土)

普通の韓国を探して5235 乙支路の裏通り2

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 続きです。ごちゃごちゃした狭い通りには工場、そしてそこで働く人のための食堂などがぎっしり。どこか看板も古い様子は日帝時代から続く町工場の街である象徴のように思えます。


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 清渓大衆湯かな?でも上の様子はモテル風でもあります。


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 うん、やはり旅館も兼ねているよう。この町の歴史が刻まれた建物でもあります。


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 「ギオ」は「ギア」?


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 とにかく小さな工場、資材店、そんなのが続くこの乙支路3街と4街、歩くに値する街です。

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2011年8月26日 (金)

普通の韓国を探して3411 忠南論山市江景邑の中心部を歩く3

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 韓国、一番多いのはやはり仏教だといいますが、日本同様、日頃はあんまりお寺との付き合いは少ないようで、目立つのはキリスト教の教会だったりします。田舎のそれほど大きくない町にも立派な教会が目立つ、地方を旅したことがある方ならお分かりだと思います。

 2枚目は「江景体育館」という看板。ボクシングは少ないけどテコンドとかの道場、「体育館」という名前の所が多いんです。ソウルの街を歩いていても、水色の胴衣を着た子供たちをよく見かけます。習っている人、かなり多いのではないかなぁ。で、この江景体育館の建物、もしかしたら日帝時代の建築かもしれません。立派な商館だった、そんな雰囲気、おわかりいただけますでしょうか?

 3枚目は美容室の看板。面白い名前です。前半分、アジュマ、ハルモニのパーマ頭をそういうのは知っていましたが、後半はどんなスタイルなのでしょう?

 4、5枚目は観光交通時刻表にも掲載されていない、江景の市外バスターミナル。忠南でよく見かける青と黄色のボディのバスがいます。1時間に1本くらいでしょうか?たぶん、いくつかの街を経由するソウル南部ターミナル行きの便があるのだと思います。

 最後は論山警察署。なぜか論山の市街ではなく、今はちょっと寂れたこの江景にあるのです。神谷丹路さんも書いていましたが、この江景、朝鮮時代、日帝時代、かなりの重要な商業地だったせいでしょう。肝心の邑事務所の写真を撮り忘れましたが、この警察署の向かいのあたりにありました。パンフレットなどをもらって江景の古い街歩きを続けた私です。

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2011年8月 5日 (金)

すばらしい?韓国の食事615 たまにはハズレもある韓国の朝飯

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 小さいときからいろいろ美味しい物を食べてきて、経験値は豊富だと思いますが、ストライクゾーンが広く、仲間があんまりいい顔しない時でも心の中で、「え?!何で?けっこうイケルじゃん」なんて思いつつ食べられる私。韓国でも大抵、何でも美味しく食べられるのですが5%くらい、ダメな店にも遭遇してしまいます。

 写真は닭곰탕、ソウルのとある町の食堂でしたが、朝の時間のせいもあるかもしれませんが、小さい店の小さい厨房にいたのはアジョシでした。あれ?と思いつつ注文して、まずはパンチャンが出てきます。ちびちびつまみながらセルフの水をのみましたが、何か、今一つ。キムチもあんまりです。ん~??と思いながら出てきたのが写真のスープ飯ですが、スープが私にはダメでした。迎春屋(ヨンチュノク)でも書きましたが、これ、既製のスープの味じゃない?と思うことがありますが、もろにそんな感じ。何度か食べているタッコムタンですが、骨なしの胸肉の繊維がばらばらになったような肉が浮いています。ご飯もおいしくないし、、、ほとんど食べずに計算を済ませました。

 この店、けっこうアジョシ、ハラボジの一人客が入ります。みな頼むのはヘジャンクッkだったかな?美味しいメニューもあるのかもしれませんが、タッコムタンに関しては私はダメでした。思うに、アジョシ1人がやっている→パンチャンは多分パンチャンチプでの既製品。厨房が狭いというかほとんど無い→みな作り置き、そんななのかな?って思います。

 一日3度の食事、ハズレがあると、かなりガックリきます。韓国の食堂、ガイドブックに出ている店でなくても95%は美味しいです。かえってガイドブック有名店よりもそうでない店のがいいくらい、そんなふうにも思っていますが、久々の「ほとんど残したメニュー」でした。「二日酔いで気分が悪いので食べられずに未安です」と言って店を出ましたが、残念な朝飯になりました。二日酔い気味だったのは本当ですけど。

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2009年9月28日 (月)

普通の韓国を探して2390 普通の韓国を見たくて、、、 念願の구형왕릉

468  買い物目的の場所とか観光名所めぐりではなく、ガイドブックのおさらいでもなく、古(いにしえ)のアガシ観光の復習でもない旅行。そんなテーマが「普通の韓国を探して」です。

 日本人の中では、また普通の韓国人と比べても韓国のあちこちを歩いているほうだと自分でも思うし、周囲からも認められてはいますが、日程の都合上なかなか行きにくい場所もたくさん。特に離島なんかは私にはなかなか行けません。 また、金浦と仁川が分かれていらい、国内線乗り継ぎでの旅行がやりにくくなり、慶尚道方面、どうしても手薄になっています。

 今回の釜山行き、少しでもそんな課題を片付けようということで、タクシーを交渉して借り切って昔から行きたかった場所。宮原さんの本で紹介されていた伝仇衡王陵(伝=そう伝えられている)を訪問しました。地名で言うと大韓民国慶尚南道山清郡今西面花渓里(대한민국 경상남도 산청군 금서면 화계리)になります。

 釜山から馬山、晋州と、何度か行っている知った道。晋州の町をぐるっと周回して北の山に入り初めての場所である山清。ここの町をちょっと歩いてみて、いよいよ本格的な山道に入って花渓里です。途中、ホジュンだかの記念館というか博物館みたいなのがあると技士さんが言っていましたがそんな新しい施設よりもクヒョン王陵です。韓国人もあまり行かないという念願の仇衡王陵、花渓里から2キロ弱でしょうか?小さな谷の奥にありました。いい場所です。

 所々で車を停めてもらって写真を撮ったり、少し町を見たり。贅沢な移動になりましたが、韓国国内で最も見てみたかった風景の一つ、この目で見てきました。その日は「もう、今日死んでも幸福だ。」、そんな気持でした。

 後日続きを紹介しますが韓国で2か所しかないという石積みの古墳の一つである仇衡王陵。後からつくられたお堂とか塀がありました。そして、いかにも韓国。入口のそばでは登山服姿のアジュマ約10名がユンノリに興じていました。いい手が出ると大声で喜びます。まぁ、周囲には私とタクシー技士さんしかいませんが、古墳で眠る古代伽耶国の王様も苦笑いしてたことでしょう。

 仇衡王陵=구형왕릉  クヒョンワンヌン クヒョン王は金官伽耶の最後の王様だそうです。宮原さんの「誰も歩かなかった韓国」を参照、もしくはネットで検索してみてください。

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2009年9月25日 (金)

普通の韓国を探して2386 釜山大学校訪問

291  釜山大学校へ行ってきました。研究に関する話をして、食事をして、翌日は久々のタクシー借りきりで少しエクスカーション。有意義な出張になりました。

 写真は釜山の朝の散策のときのもの。何度か子供たちの写真をアップしていましたが屈託ない笑顔、やはり日本の子供より無邪気で、、、知らない外国人を怖がることなく普通に接してくれるのが嬉しいです。あと、写真慣れしているな、とまたも感じた1枚です。きょうだいでしょうかねぇ?2人。

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2008年11月 9日 (日)

普通の韓国を探して1890 江南駅サゴリ

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 スタッフへの土産をデイパックに入れて自転車で医院へ出てきました。 今回のソウル、今までほぼ毎年11月初旬の韓国を訪問していますが最も暖かい秋です。

 今までも書いてきたように、今回の大会は韓日ジョイントセミナーという企画がありウリ新潟大学校歯科大学の先生の他、日本の多くの大学の先生の発表がありました。最近の学会はポスター中心になり、わりあい自由な時間が取れます。そこで、韓国での学会に参加する母校医局の仲間に、2泊3日の短い期間でできるだけ韓国を知ってもらうには、と考えての案内でした。

 学会会場は江南の三成洞のコエックス、先生方の宿も移動が楽な江南です。圧倒的な迫力を持つCOEXは確かに見物ではありますが、やはり漢江の北、昔からのソウルも見てもらいたいと考え、初日夜は地下鉄でウルチロ入口へ移動。明洞を歩いて退渓路へ抜け、地下道をくぐって新世界デパートから南大門市場。そのまま南大門路をくぐって北倉洞の歓楽街を抜けてロッテ、免税店を見て、一休みしてからまた徒歩で鍾路へ出て仁寺洞を歩き、楽園商街脇でヘムルタンの夕食です。

 帰りは地下鉄で別の路線。アプクジョンで地上に出てタクシーに乗り換え、ゲロリア前からブランド通りを抜けて三成駅という経路で、急ぎ足でしたがいろんなソウルの街を見てもらいました。

 写真は2号線江南駅のある交差点、カンナムヨクサゴリです。95年の初ソウル以来、李準圭先生のオフィスが近いため何度も訪れている場所ですが、行く度に景色が変わります。今も地下鉄の工事でいろいろやっていますし、新しいビルもどんどんできています。ソウルのカンナム、新沙、アプクジョン、サムソン、チャムシル、新川、教大、ノニョン、駅三、デチ、多くの繁華街がありますが、やはり江南地区の真ん中はここかな?と思う場所です。

 2枚目、同じ場所での写真ですが、左折車線の緑地帯で工事中。このあたり、1枚目の写真のようにすごいビル街ですが、この工事の風景はやっぱり韓国、ケンチャナヨだな、と感じての1枚です。

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2008年8月 1日 (金)

普通の韓国を探して1773 京機道漣川郡全谷の町1

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 旧加治川村の姉妹都市、38度線の町と言う縁で締結した全谷の町です。夕方早く到着し宿を決めて大きなカバンを部屋に置いて出かけてみました。まずは市場へ、というのが原則ですのでモテルの帳場のアジョシに大体の場所を聞いて歩き始めます。宿の前の道を北へ向かうとちょっと賑やかな感じになってきました。昔からの町の中心部に近づいたのでしょう。ソウルに比べるとどこの地方も人通りは少なめです。人口10000人くらいと後で邑事務所で教えてもらいましたが、冬の夕方でもあり、あまり人影もありません。

 まず市場を見て、ぐるっとウムネ(邑内=その土地の中心となる場所)を歩いて、美容室で髪を切って、できれば珍しいもの、土地の名物を食べて、、なんて考えながら歩きました。

 1枚目、いろんな看板が見えます。京機茶房(タバン)が2階、1階はカミ活魚刺身(フェ)センター、コマテジ(子豚)は何の店かな?クリックPC房に、クッテクサラムと言う店はカピショップでしょうか?有明は日本料理?こんな田舎でも日本式の店はありました。右側は宇宙舞踏学院。ダンス教室のようです。

 2枚目は漣川観光という看板、だんだん下っていく道。3枚目は氷です。錆の色なのでしょうか?冬のこの時期、ソウルからはるかに北の山の中の町なので日中も零下だったりする場所。どうしてこんなのができたのかな?と思っての1枚です。

 4枚目は空き家と自動販売機。日本ほどではないけれど自動販売機が多い韓国、治安の良さの現れです。

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2008年6月30日 (月)

普通の韓国を探して1738 大田の駅前繁華街

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 大田駅前、大通りの左手にはかなり大きな市場が広がっています。右手は飲食店だの映画館だの、そして旅館などがある区域、そちら側の写真です。この後会った韓国の先生の話に寄れば今は土地の広い西部のほうへどんどん町が広がり、アパートや公共施設もそちらに発展しているとのことでした。地下鉄も出来ましたので移動も便利、そして新しく広い道路、やはり中心街の空洞化が進んでるようです。

 1枚目はそんな古い繁華街の1本裏手の通りです。前にちょっと侘しい荘旅館に泊まったら、という項がありましたがあそこのあたりです。大田には2回泊まっていますが、2回ともこの辺、女性の勧誘をするアジュマ、ハルモニの声がうるさくかかる、そんな場所です。旅館の形で、まぁ、宿泊も出来るけど女性を置いている、そんななのだと思います。

 2枚目は1枚目の通りを少し行って左へ折れたほう。前にも食事を紹介しましたがソルロンタンの全国的有名人気店、「ハンバッ食堂」です。1階のほとんどを占めるかなり大きな店です。美味しい雪濃湯を出す店ですがこのあと、上記の先生との約束が会ったのでこの時は通過、地下鉄大田駅へ向かいました。前夜に泊まった全州よりもさらに大きな都市、日本人もけっこう住んでいると思われる韓国中部の交通の要衝です。

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2008年6月18日 (水)

普通の韓国を探して1720 ソウル駅・西部駅側の風景

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 前にも紹介したかもしれませんがソウル駅、西口のことを西部駅、「서부역,ソブヨk(ソブヨク)」と昔から言うようです。旧駅舎の南にできた新しいガラス張りのソウル駅、表から通り抜けると西部駅側へ出られます。山の多いソウル、萬里洞コゲとか淑明女子大とかのあるほうの山です。表側は南山公園とか南大門市場など、旧ソウルの城郭都市の入口ですのであまり普通の家が無い感じですがこちらの側は小高い山の斜面に一般の家々がぎっしり建っている、そんな風景を望むことができます。

 ここでも写真集の紹介をしたキムギチャンさんが主に古い町の撮影で歩いていたチュンリム洞(중림동,中林洞?)もそんな町のひとつですが、再開発で古い家々は姿を消してしまいました。再開発待ち地区は以前アップしたアヒョン洞の南側の地区がちょっとだけ残るのみです。

 1枚目、3枚目のビルはソファ児童病院という小児科の専門病院のようです。소화にあたる漢字語が思い当たりませんがもしかしたら「昭和」かな?とも思います。違うかな?昭和の「昭」という漢字、今の大人は皆知っている文字ですが「昭和」という年号以外にはほとんど使われない漢字だそうです。年号のためにやたら古い漢字を持ってきたとか聞いています。確かに他に「昭」という文字を使う一般的な言葉、思い当たりません。

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